
鹿児島は古くから火山が多く、各噴火による火山灰で年代が推定できます。
灰と灰の間の黒色土層・火山灰中に、遺跡や遺物が発見されています。
稲作時代まで、定住しなかったといわれていたのが、指宿市・水迫で歴史をくつがえす発見があり、新聞・TVなどを騒がしたのも、記憶に新しいところです。
鎌倉幕府が成立すると、幕府から任命された関東武士が、守護・地頭として南九州各地に赴任します。
相模国から渋谷氏が北薩、武蔵国から小川氏が甑島、千葉氏、鮫島氏、二階堂氏、北条(名越)氏等、惟宗氏が大荘園の下司職・のちに守護に任命され、この惟宗氏が荘園の名をとり、島津を称します。
3代目から鎌倉を出て、鹿児島に土着します。これは、元寇が、赴任地に赴くきっかけとなったようです。
入部、土着した島津氏などの関東御家人と、肝付・伊集院・菱刈・伊地知氏などの在地豪族との争いや、島津氏の内部紛争、中央の南北朝の対立に、地頭や郡司が複雑に絡み合い、県下は戦乱の明け暮れ、長い動乱の時代となります。